WIND AHEAD

風を追いかけ、水平線の向こうへ

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本当に辛いときも、自然と「苦しいけど、俺はまだ大丈夫」と振る舞えるようになったののは生来のものなんだろうか、後天的にみにつけてきたものなのかはわかない。
ただ「苦しい」「きつい」という言葉に大して「大丈夫か?」「がんばれ」って言葉で痛みを乗り越えられたのは事実で。膝に水が溜まったままバスケットやったり。
逆境の場に俺がいてるだけで、「なんとかなる気がする」と言われることは多かった。実際に何とかなったこともあるし、なんともならなかったこともある。
結局本当にしんどいんだけど、その言葉は「しんどいけど大丈夫だよ、なんとかなる」ってことを伝えているんだろうね。自分自身に対しても。周囲が安心して、俺もまだ走れるって走って。
中学校んバスケ部キャプテンの時に、顧問が覚せい剤と児童買春で逮捕された後の騒動で、ひたすら色んな事態収拾に奔走したのが始まりだったとおもう。振り返って思うに。

噛みあえば逆境を跳ね返せるんだけど、噛み合わなかったらただの暴走機関車なんだよね。

今日はそんな変な話なので興味ない人は個々で終わって下さい。
ちゃんと素直に苦しいってことを、伝えきれないのでここで吐露しておきます。


んで結局大丈夫じゃなくて、ある日突然、朝身を起こせなくなってしまって。
大丈夫じゃなかったんだってのを理解することを拒否して、だんだん理解したのに。

未だにしんどいと言う言葉に対して、「大丈夫なんだね」という反応しか還ってこない。
伝え方がそういうふうにしかできないんだろかどうかはわからない。その苦しみを理解して欲しいとかそういう望みはもっていない。他人の痛みを理解できないから。共鳴はできても。
特にきついのは家族からの反応。「大丈夫じゃないんだよ」って言うことを伝えたくても伝わり切れない苛立ちとかが今相当たまってる。
まだこいつまだ動くぞって思わせるような態度をとってるのかなぁ。本当に身近にいる家族から「少し休め」「大丈夫か?」って言葉がほしい。それがあれば前を向くことができると思うんだよなんとか。俺大丈夫って走り続けて一回どうしようもなくなってるのに、なんでそうなるんだろうw
入院の見舞いにもきてくれたりしたのに、マタ以前の俺に戻ったと思ってるんだろうか。
理解して欲しいと望まないと伝えきれないものなんだろうか。でもそれはすごく傲慢だとおもうんだ。


ちゃんと素直に苦しいってことを伝えたらいいのにね。だからつらつらと今苦しんでることを書く。

この季節は本当に苦しい。ふとスイッチが入ると、亡き親友のことで思考の螺旋階段を延々と登ったり降りたりしだす。
俺はあいつと出会ってよかったんだろうか。あいつは俺と深く関わらなければ今頃。いやそれでも・・・っ。やっぱり俺はあいつを更に苦しめたんじゃないかって。


親友との出会いは高校2年の新学期だった。
彼は入学時からあらゆる試験で校内では常に1位。全国模試なら3桁に行くことは事故だった。
俺は、勉強しなくても偏差値は60あったからそのまま九大いけるしーって部活ばかりしてた。宿題とかそういうのも「しなくても点数とれてるじゃん」って自ら勉強ってのをすることはなかった。

進学校だったので中間期末以外にも月に1度はテストがあったりして、結構ハードな高校だった。
2年からは補講が2限ついて朝8:30~17:00まで6限+2限とかでね。夏休みも補修があって、盆暮れしか休みがないしw
3年生になる時点で高校での過程をすべて終了させて、3年生は受験のための勉強ってカリキュラムで並の予備校よりハードだったのかな?w

彼は別世界の人間としか思ってなかった。テストが終わるたびに文化祭・体育祭の後、「終わった!打ち上げじゃー」って俺の家に男子が集まって打ち上げしてたんだけど、彼は誘っても「俺は勉強しないといけないから」って断らててた
それでも、打ち上げがあるたびに声をかけていたんだ。楽しいぞーってねw
それでもあいつは来なかったんだよね。

トップに居続ける人ってすげーのなーって、別世界の人間なんだと思ってたんだ。

本当に仲良くなれたのは3年のトキ。
どうせ受験するならトップとってやれ!ってトチ狂って「俺は京大にいく!」って宣言したんだよねwww
んで彼も当然ながら成績は東大現役合格確実なところにいるわけで、まあいろいろわからないところとかききにってたりしてね。
センター試験に世界史で、2次で日本史って感じで社会科は2科目しないとダメだった。普通はどっちか一つをセンターように勉強してればいいんだけど。もう一つは更に論述できるような理解をしてないとダメだった。
だから当然更に補講があるわけだ。17:00以降に特別な補講がw
補講に出てたなかで男子は俺と彼しかいなかったから、急接近したんだよね。


んでそういう中でも恒例の打ち上げはしてて、ある日あいつが参加したんだ。
その時は嬉しくてね。周りの奴らとも少しづつだけど打ち解けて行って。
ふたりだけの秘密で好きな子のこととか話ししたりね。あいつとだけそういう打ち上げみたいなのもしてた。

本当に彼はすごかった。ずっとトップクラスに居続けるってのは不断の努力の賜物だった。
努力を継続させるその力は素直に尊敬した。
3年になって思いついたように勉強しだした俺じゃ、とてもかなわない積み重ねがあった。
数学と現国は俺のほうが得意だったので、そっちの分野では彼に対してアドバイスも出来るようになった。

ただね、あいつも俺とナンも変わらないフツーの男子高校生だったんだよねwwwww
エロいし、バカやるしwww

んで、自分で言うのもなんだけど、元々素材がいいから、ベンキョしたらどんどん伸びるわけ。
高3はほんとうに勉強したよ。一日の睡眠時間は3時間くらいかな?休み時間に仮眠取りながら。
夏に貧血で倒れたこともあったw
自分自身で理解が深まっていくのがわかるから楽しくて疲れないんだ。

すぐに東大も圏内にはいって、先生からは「京大から東大狙いに変えろ」といわれた。
はっきりノーといった。京大に行きたかったんだよね。理由は尊敬する指揮者朝比奈隆を輩出したこと。滝川事件のような学問の独立を貫く歴史。若い時は共産主義に憧れるのは仕方ないよね。そういう左側なところが気に入ってたんだね。
彼は入学当時から「当然東大志望」と目されてた。
んである日俺にこぼしたのは「本当に行きたいのは京大なんだ」ってこと。ただ教師は東大東大といってきて、それに対して拒否できた俺が羨ましいと。
「親はなんていうのか?」と聞いたら、「そのことに対して興味を示さない」「好きにしたらいい」と冷たいと。

はっきりと意志は示す勇気をもらったと、彼も「東大じゃなくて京大にいきたいんだ」って伝えた。
ただ教師は納得しなくて、その後も圧力がかかっていたらしい。
彼の意志をわかるのは俺しかいなかったんじゃないかなあの時は。
そのうちに彼は学校では勉強ができないからってこなくなった。
彼には彼のやり方があるからって、ほっといたんだ。
模試とかには来てたしね。
12月くらいから模試にも来なくなったんだけど、俺自身も必死だったから彼を思い遣る余裕がなかった。

そのまま新年を迎えてセンター試験に望むことになった。
センターはこの調子ならばっちり。後は2次までにもっと!って感じだった。
ただやはり彼が模試にもこなくなったのは気になってた。
前日は20時には寝てしっかり早起きしていくようにしていたんだけどね。
気になって仕方なくて、前日で迷惑にならないだろうかって迷いもあったんだけど彼の家に電話したんだ。
「明日センターがあるけ調子はどうだ?」って聞いたら彼は「俺はもうダメだ」と泣き出して。
何があったのか聞いたら、夢遊病で朝気がついたら高校の教室の前で根巻きのまま目が覚めたとか、学校がプレッシャーで行きたくなかった、そんな事聞かされて。
もう俺今まで何してたんだと。泣きながら「俺やクラスメイトに会いたいんじゃないのか?」「夢の中で求めるくらいに」って聞いたら「学校に行ってみんなに会いたい」って。
もうあとは寝るぞーって時間で19時頃だった。
母親に今すぐ学校に連れていってくれと頼み込んで、彼の母親にも彼を学校まで連れてきてくれと頼み込んで。
20時頃高校で、明日はセンター試験だから誰もいない真っ暗な高校で二人で会ったんだ。
親は車の中で待っててくれた、両方共。

色々話したけど内容はもう覚えてない。ふたりとも泣いてたな。
なんで気づけなかったんだろうとすごく後悔した。

そしてこのまま彼を帰したら明日試験に来ないんじゃないかと思った。
彼の親に「うちで俺と一緒に寝て、明日一緒に試験に行かせて欲しい」ってお願いして。
彼もそれを望んでくれて。
彼の両親も「安心して預けられる」って逆にお願いされるような形になって。
俺んちに帰って、布団を同じ部屋に並べて二人で寝た。明日がんばろうなっていうようなことを話して。
俺すぐ寝ちまって余り話はしてない。

翌日は例年よりも難易度があがって思ってた以上の点が取れなかった。
すごく歯がゆくてイライラしてたんだ。
んで彼はというと、教室が別だったので、同じ教室で受験してる友だちに聞いたら、試験がはじまって退出可能な時間になった即退出してたと。
昨日のアレはなんだったんだって怒りがこみ上げてきて。
もう知るかって。試験が終わったら一人でさっさと帰った。
明日なんとしても挽回したい。

その日の18時ごろ。彼の親から電話があって。「うちの子を知らないか?と」
こういう状況だったから先に帰りましたと伝えたら、「まだ帰ってこない」。
パニック、怒りに任せてほったらかしたことへの後悔。そして彼が行方不明になったことの不安なんかを誰にも伝えられない苦しさ。明日もみんなセンター試験があるんだ。
気が気ではなかった。20時に寝て明日に備えるとかそんな事もできない。
ただただ何してたんだって。ダイジョブだよなって。最悪のことも考えた。
22時頃に彼の親から「無事に保護された」と連絡が入った。
安心してそのまま寝てしまった。保護された?ってどういうことだ?ってのは引っかかっていたんだけど。

翌日は更に散々だった。自己採点の結果はこれじゃ到底京大は無理。2次で本当にトップにいないと無理。
現役合格は絶望的だった。

浪人できるような裕福な家庭ではなかったので、志望校のランクを落とした。
広島大学の社会科学に。そもそもの志望校はそこだったから。
人間そのもの、そして2人いれば成立する社会とはなにかってのを知りたかったんだ。
京大にも人間関係学科ってのがあってそこに行きたかったんだ。
先生の焦り方は本当に面白かったよ。阪大も九大も筑波もあるんだぞって。
この人達は有名校に何人合格させるか、それだけしか考えてないんだなぁって・・・w
殺してやろうかと思ったよwwwお前らエゴでプレッシャーかけて、アイツ潰しやがって。

んで広島大学じゃ今までの成果を示せないし、試しにどこか私立で腕試ししないかってことで、私学のトップクラスを受けた。
結果としてはその私学は受かって、その学部で社会学が専攻できたんだよね。
そのことをしってから広大よりもやはりそっちに行きたいってことで、両親に頭下げて、行かせてくれたんだけどそれはマタ別で。

すべてが終わったらあいつを思いっきしぶん殴るって決めてた。
んで国立の2次が終わった翌日に、彼から俺に電話があった。
あの時の失踪は「記憶がなかった」と。意味不明に他所の家にあがり込んで、「ただいまー」んで誰だお前っていうその内の人に「ここは俺の家だ」って居座ってたらしい。そこを警察が保護しにきたと。
連れて帰らなかったのを後悔した。無理してうけさせてしまったんじゃないかって。
それについては、試験を受けれてよかったお言ってくれたけど、どうだったんだろうね。
そしてセンター前日は俺が寝たのを確認して、うちの両親のところにって、俺の親父とウィスキー飲んでたんだとよ。なんで教えてくれないのとも思ったけど、彼らの思いやりだったんだろうな。俺ただの馬鹿じゃんwwwwww

この時のことは本当に良かったんだろうか。俺の只の自己満足じゃないんだろうか。共倒れになってあいつはこのことを話しするときはすごくはにかんでた。俺はケラケラ笑えてたんだけど。あいつは負い目背負ったんじゃないかな。。。
放っておいたら試験には来なかっただろうしこんなことにはなってないだろうし。

京大にいけなかったことは後悔してない。
上京していろんな経験ができたし、なにより伝統のある私学でいろんな思想・主義を実感できた。
そして、左巻きな学校じゃなかったのがのちのち救われた。

とにかくこのまま学校には行きたくないと。クラスメイトには会いたいけども、学校は嫌だと。


そのまま卒業式にも来なかった。
卒業証書を俺が預って、式後の俺んちでの打ち上げにアイツを引っ張って連れてきて、俺があいつに卒業証書をクラスメイトの前で渡した。写真をとってくれて今でも残ってる。恥ずかしそうな顔してるんだよね。俺もあいつも

それぞれ4月から、俺は横浜に進学、あいつは博多で浪人生と別な場所で新たなスタートを切った。

ってなげーな 続けると思う。
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